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仙台高等裁判所 昭和31年(う)739号 判決 1957年4月18日

控訴人 被告人 金永煥

弁護人 高橋万五郎

検察官 鷲田勇

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年に処する。

原審における未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入する。

原審並びに当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴趣意は、被告人名義の控訴趣意書(二通)及び弁護人高橋万五郎名義の控訴趣意書(一通)記載のとおりであるから、これを引用する。

被告人の控訴趣意中訴訟手続の法令違反を主張する部分について、

原審受命裁判官が昭和三一年七月二八日岩手県釜石市唐丹町小白浜一五三番地旅館業浜田屋こと金野キミ方で施行した証人金野キミ、同磯崎洋、同細越トシ及び同菅野トキ子の尋問に被告人が立ち会わなかつたことは、所論のとおりである。しかし、記録によれば、原裁判所は、被告人及び弁護人の出頭した同月五日の第一回公判において、検察官の請求により本件犯行現場を検証し、右四名を含む八名の証人を検証現場で尋問する旨の決定をし、右証拠調期日を同月二七日午後一時及び同月二八日午前一〇時と指定告知し、同月一九日公判期日外で、弁護人の請求にかかる証人金永済外一名を検証現場附近で尋問する旨、右証人尋問並びにさきに決定した検証及び証人尋問は受命裁判官をして行わしめる旨の決定をし、以上の証拠調の順序等の細目を定めて被告人、弁護人及び検察官に通知すると共に、裁判長より検察官に対し勾留中の被告人を右証拠調に立ち合わせるための護送指揮を要請したこと、受命裁判官が右各決定に基いて施行した第一日目の検証及び証人松下富美子外一名の尋問に被告人も弁護人も共に立ち会つたが、第二日目の証人金野キミ外三名の尋問には弁護人のみが立ち会つて被告人は立ち会わなかつたものであることが認められる(弁護人請求の証人二名は、尋問期日を事実上変更され、その後の第二回公判で取り調べられた)。以上によれば、裁判所は裁判所外における証拠調に被告人を立ち会わせるため裁判所として執るべき相当の措置をあらかじめ執つたことが認められる。然るに被告人が第二日目の証人尋問に立ち会わなかつた理由は、必ずしも明らかではないが、記録によれば、現場にもよりの勾留被告人を宿泊させるに適当な施設は、現場から約三里の行程にある釜石警察署の留置場であり、その間乗合自動車の連絡はあるが、被告人が第一日目の検証並びに証人尋問に立ち会つてから、同警察署に赴いて一泊した上、翌第二日目の所定の時刻までに現場にもどつて証人尋問に立ち会うことが、事実上困難であつたため、その日に取り調べることになつていた証人は、事案にとつてさして重要な証人でもなかつたところから、被告人が立会権を抛棄したものと推測されるのであつて、受命裁判官が被告人の意思を無視して立会権を制限したと疑われる証跡はない。のみならず、裁判所が裁判所外で証人を尋問する場合に、被告人が拘禁されているときは、特別の事由のないかぎり、弁護人を立ち合わせておれば、被告人自身を立ち会わせなくても、必ずしも被告人の証人審問権を奪つたものということはできない。従つて、原審の裁判所外における前記証人尋問の手続にはなんら違法の点がない。論旨は理由がない。

被告人のその余の控訴趣意及び弁護人の控訴趣意第一点について、

原判示事実中、被告人が昭和三一年五月初旬頃から吉田正男劇団を引き連れて岩手県南部海岸地帯の各地を興業し、同月二四日興業準備のため単身釜石市唐丹町に先乗りし、同町小白町一五三番地旅館業浜田屋こと金野キミ方二階六号室に投宿したこと、被告人が夕食時の午後七時半頃から居室で焼酎四合瓶詰一本をあけ、午後九時半頃外出し、附近の飲食店二軒をまわり、午後一一時四〇分頃旅館に帰り、一旦階段を上つて六号室にもどつたが、数分後階下に降りて用便をすませてから再び二階にあがり、中廊下をへだてて六号室の斜め向かいにある二号室に情夫の衣類行商人奥田金右エ門と床を並べ消燈して就寝していた松下富美子(当二八年)のそばに忍び寄り、その寝床にもぐりこんで同女を姦淫した事実は、原判決挙示の証拠により明白である。

(一)、論旨は、被告人が浜田屋の二階六号室で焼酎を飲んでから外出したのは、よその飲食店でもつと酒を飲みたかつたからで、女が欲しかつたからではないと主張する。しかし、原審受命裁判官の証人金野キミ、同細越トシ、同菅野トキ子及び磯崎洋に対する各尋問調書によれば、被告人は、六号室で飲酒中浜田屋の女将金野キミを呼び寄せて、「ここらあたりに遊ぶ女がいないか」などと問い、その後外出してまず近所の飲食店菊屋に立ち寄り、何も注文しないで、女主人の菅野トキ子に「泊めるところはないか」と尋ね、間もなく同店を出て飲食店小柳に赴き、女将の細越トシに「ここで面白いことをさせて遊ばせるというから来た」などと言い、注文を聞きに出た女中の首に手をかけたり、口を寄せたり淫らな振舞に及んだので見かねた同店の飲食客磯崎洋等に心ならずも送り帰されたことが明らかである。以上の事情から推して考えると、被告人は女と関係したいという気持もあつたからこそ外出したもので、その主張するように単に酒を飲むだけの目的で外出したものとは認められない。

(二)、次に、論旨は、被告人は部屋を間違えて二号室にはいつたもので、当初からその宿泊客松下富美子を姦淫する目的で同室にはいつたものではないと主張する。しかし、原審受命裁判官の証人松下富美子、同奥田金右エ門及び同金野キミに対する各尋問調書、原審受命裁判官の検証調書によれば、被告人は、さきに夕食時に自室の六号室で飲酒中、階下の便所に立つた帰りにも二号室の戸を引きあけ同室内をのぞいて松下及び奥田の両名を認め、あわてて戸をしめた事実がある。而して、検察官及び原審受命裁判官の各検証調書によれば、六号室も二号室も共に六畳敷ではあるが、六号室は階下より階上に至る階段を上りつめ、中廊下を横切つてその突き当りにあり、二号室は六号室とは反対側のそれから見て階段の右隣すなわち中廊下をへだてて右に筋向かいにあり、かつ、当時六号室前の中廊下には天井からつり下げられた一〇燭光の電燈がついていたことが認められる。以上の関係から見ても、被告人が当時酒に酔うていたとはいえ、一度ならず二度も同じ二号室を六号室と間違えるということは、納得し難いことである。しかも、右証拠によれば、当時二号室内は消燈し、六号室には四〇ワツトの電燈がついていたこと、六号室には一組の布団が中廊下寄りの中央に敷かれてあり、二号室には二組の布団が中廊下寄り一杯に隅から隅まで畳の目も見えないように敷き並べられてあつたことが認められる。従つて、被告人としては、中廊下に立つて二号室の戸をあけた瞬間に同室内に電燈がついていないことと中廊下の電燈の光でおよそ見分けることができたと認められる布団を敷いた状況とによつて、同室が六号室でないことに容易に気付くはずであるのに、被告人がそのまま布団を踏み分けるようにして二号室の中にはいつて行つたということは、部屋を間違えたものの行動とは認め難い。以上の次第で、部屋を間違えて二号室にはいつたという被告人の弁解は、とうてい措信することができないものであつて、被告人の執つたその前後の行動から推察するに、被告人は、当初から二号室が女客松下等の泊つている部屋であることを知りながら、同女と情交する目的で、同室に忍んで行つたものと認めざるをえない。

(三)、更に、論旨は、被告人は松下と合意の上で情交したものであると主張する。被告人は、検察官の昭和三一年六月一二日の取調以来右主張に添うような供述をしている。すなわち、被告人の言うところによれば、「私が中廊下から二号室の戸をあけて同室にはいり、その戸をしめて二、三歩中へ進んだとき、右側に寝ていた女が目をあけて私の方をじつと見つめてからだをずらしたので、私は情交してもよいものと思い、寝床の中にはいつて行つてその女と情交した」旨の、松下が被告人と知りつつ情交に応じたという趣旨に解される供述をし、なお、被告人が寝床にはいつてからも、同女が被告人に抱きついたり、自分でズロースを脱いだり、その他進んで情交に応ずるような所作を示した顛末をことこまやかに述べている。しかし被告人の言う「寝ていた女が目をあけて私の方をじつと見つめてからだをずらした」という点は、被告人が本件を和姦であるとして正当化するための虚妄の弁解と認めざるをえない。その理由は次のとおりである。

(1)、被告人が右のような弁解をし出したのは、和姦の主張をするようになつてからのことである。それ以前の司法警察員の各取調及び検察官の昭和三一年六月四日の取調では、そのような弁解をしていないのみか、司法警察員の同年五月二五日の取調の際は、「私が女の寝床にはいるまでは、女は眠つていたようであつた」と述べている。

(2)、検察官及び原審受命裁判官の各検証調書、原審受命裁判官の証人松下富美子に対する尋問調書によれば、二号室の東側は板戸四枚によつて隣室と、南側は板戸三枚によつて中廊下と、北側は硝子入障子三枚によつて外廊下とそれぞれ仕切られ、西側は押入と壁であり、本件当時外廊下の雨戸はしめ切られてあり、松下等は同室の三方の戸を全部しめ、消燈して就寝したものであるが、右のような状況の下では、同室内は、戸の隙間からわずかにはいる中廊下の電燈の光を受ける部分を除いてはほとんど暗闇で、その中で寝ている人がからだをずらす気配ぐらいは感じることができても、物の輪郭人の顔かたちなどを識別することが困難であることが認められる。このことは、当裁判所の検証の結果によるも疑いがない。従つて、被告人のいうように、「中廊下から二号室の戸をあけて同室にはいりその戸をしめて二、三歩中へ進んだとき、寝ていた女が目をあけて私をじつと見つめた」というような人の挙動を、暗さにもなれていない被告人の目で認めることができたものとは、とうてい考えることができない。

(3)、松下が二号室で情夫の奥田と枕を並べて寝ていたことは、さきに説明したとおりである。ところで、原審受命裁判官の右両名に対する証人尋問調書及び被告人の検察官に対する昭和三一年六月四日付供述調書によれば、松下と被告人とは、たまたまその日浜田屋に泊り合わせたというだけの関係で、それまで一面識もない間柄であつたことが明らかである。また、同女がなんらか異常な性格若しくは精神上の障碍を持つていると疑われるような証跡も記録もなく、酩酊して理性の働きが鈍つていたというような事情のなかつたことも、右各尋問調書によつて明らかである。もつとも、同女は、自ら証言しているとおり、かつて芸者をし、俗にいう旦那を持ち子供を生んだこともあり、その後妻子のある奥田と交渉ができて、行商先などで頻繁に関係を結んでいたような女であるから、同女が論旨にいわゆる淫行の熟練者であり、必ずしも性的に潔癖な女であるとは認め難いであろう。しかし、それにしても、性格的にも精神的にも特段の欠陥があるとは認められない、普通人並の理性を具えていると認められる松下が寝ている情夫のすぐそばで、未知の男の誘いにのつて情交するというようなことは、常識では考えることができない。

(4)、原審受命裁判官の証人松下富美子、同奥田金右エ門及び同金野キミに対する各尋問調書、医師柴一葉作成の診断書、同人の検察官に対する供述調書によれば、松下は被告人に姦淫されている間に騒ぎ出し、情夫の奥田を呼び起し、同人と協力して被告人を取り押えたこと、同女がその直後性病の感染を恐れて塩湯で陰部を洗滌し、翌早朝とりあえずもよりの医師の診察を受け、その後更に婦人科医の精密な診断を受けたことが明らかである。同女が被告人と知りながら合意の上で情交したものとすれば、同女が以上のような措置を執つたということは、理解し難いことである。

(5)、なお、被告人は、原審公判における最終陳述で、本件はいわゆる「美人局」であるという趣旨と思われる主張をしているが、本件が「美人局」なら、情夫の奥田が被告人に対し松下との情交を種にして金品を要求するとか、なにか為にする態度に出るべきものと考えられるのに、奥田が被告人に対しそのような要求をしたという証拠はなく、また、奥田にそのような要求をする意思があることを窺わしめる資料もない。

以上を要するに、本件において松下が相手を被告人と知りながら情交に応じたものとは認められず、従つて、被告人に寝床にはいりこまれてから執つたという所作も、被告人を被告人と意識しての行動とは認め難く(この点については後段の説明参照)、記録を精査し、当審における事実取調の結果に徴しても、叙上の判断に誤りがあるとは認められない。

論旨は理由がない。

しかし、職権をもつて調査するに、

(一)、原判決は、被告人が、松下が熟睡し抗拒不能の状態にあるのに乗じて同女を姦淫した旨の認定をしている。原判決の引用する原審受命裁判官の同女に対する証人尋問調書、原審受命裁判官の検証調書中同女が立会人として指示説明した部分(同意証拠)によれば、同女は、「私はその日奥田と共に衣類の行商をしてまわり、午後七時頃浜田屋に着いて二階の二号室に投宿し、入浴後夕食をし、午後九時三〇分頃寝床にはいつて雑誌を読み、それから奥田と性交し、便所に立つてからズロースをはき、シミーズを着て、消燈して就寝したが、疲れてぐつすり寝こんでいるうちに、胸を強く抱き締められるような胸苦しさを感じてはつと目をさましたら、男が上に乗つていて、その陰茎が私の膣内にはいつており、酒のにおいがして来たので、その男が奥田でないことに気付き、上半身を起しながら、その男の胸倉をつかみ、同時にそばに寝ていた奥田を呼び起し、同人と協力してその男を取り押えた」という趣旨の供述若しくは説明をしているのであつて、これによれば、同女は、胸苦しくなつて目をさますまで熟睡し前後不覚であつた間に、被告人に姦淫されたことになる。しかしながら、松下の言つていることも、必ずしも真相を尽したものとは認め難い。すなわち、

(1)、松下の言うところによれば、同女は、男に寝床の中にはいりこまれ、ズロースを脱がされ、股の間に割りこまれ、乗りかかられて胸苦しくなるまでの若干時間性交されたことに全然気が付かずに眠つていたことになる。しかし、当時同女が酩酊していたとかその他なんらかの原因で意識の障碍でも来たしていたというような特段の事情を認めることのできない本件において、同女が睡眠中全くの不識の間に右のように姦淫されたということは、同女が日中行商してまわり、就寝前入浴したり奥田と性交したりして、相当疲労していたという点を考慮にいれても、首肯し難いことである。

(2)、松下は相手が被告人であることには気が付かなかつたが、奥田と情交しているという意識をある程度持つていたものと認められる証跡は、同女の供述の中にもその片鱗を現わしている。すなわち、同女は、原審受命裁判官の検証の立会人として、「夢の中で奥田がまた性行為をするところだと思つていた」と説明し、性行為を夢に仮託して述べているが、証人としては、同裁判官に対し「奥田が二回したなという気がしていて、それから酒のにおいがしたので、別人と気が付いた」と証言している。

(3)、被告人は司法警察員の各取調及び検察官の昭和三一年六月四日の取調で、被告人が松下の寝床にはいりこんでからの同女の示した性戯について、かなり詳しく述べている。被告人はその頃はまだ、本件が和姦であるという弁解をしていないのであるから、当時被告人が述べたことには真相に触れたものがあると認められるが、右供述によれば、松下が相手の男が被告人であるとは気が付かずに、ある程度意識的に情交に応ずる態度を示したことは、否定しえないものと認められる。

以上を綜合して考えるに、松下が同女の言うように胸を強く抱き締められて胸苦しくなるまで熟睡し何も知らずに姦淫されていたわけではなく、深夜暗い部屋で眠つている間に寝床の中にはいりこまれて情交をいどまれたため、さめ切らないいわば夢うつつの中のおぼろな意識のうちで、その情交をいどんだ男をそばに寝ていた情夫の奥田と感違いをして情交に応じていたのであるが、そのうち意識が次第に鮮明となり、奥田がその晩酒を飲まなかつたのに酒のにおいがして来たので、相手の男が奥田でないことにはつきり気が付いて、にわかに騒ぎ出したものと認めるのを相当とする。

次に、問題は被告人の認識の点である。もし、被告人において、松下が奥田に情交を求められたものと感違いをしてこれに応ずる態度を示したのを、被告人に対して情交を承諾した意味に誤解したものとすれば、被告人が松下を姦淫した行為は、被告人の認識の上では和姦であつて、犯意か欠くこととなる。しかしながら、被告人が夕食時にも松下と奥田との在室する二号室をあけて見たことのあること、二度目に同室をあけた本件当時同室内は消燈してあつたが、中廊下の電燈の光でその室内の布団を敷いた状況をおよそ判別することができたものと認められることは、さきに説示したとおりであるから、被告人は当時同室内に一見夫婦連れと思われる男女二人の客が宿泊していることを十分知つていたものと認めなければならない。而して、よわいすでに三二を越して相当世の経験を積み、劇団を引き連れて各地を興行してまわることをなりわいとして来たほどに智慧も才覚もある被告人が、女が同じ部屋に寝ている同伴の男のすぐそばで見ず知らずの男との情交に応ずるという社会通念上ありえないことをありうることと思うほど非常識であるとは考えられない。被告人は、司法警察員の昭和三一年五月二五日の取調で、「今になつて考えて見ると、最初女は私を別の寝床に寝ていた夫と感違いをして私のするままにからだを任せていたが、のちに夫でないことがわかつて騒ぎ出したのであらう」と述べ、検察官の同年六月四日の取調でも同旨の供述をしているが、被告人は、あとから考えるまでもなく当初から女が暗がりと睡気のために被告人を同じ部屋に寝ていた男と錯覚して情交に応じたものであることを知りながら、これに乗じて同女を姦淫したもので、被告人がそもそも男女二人連れの客室と知りつつ同室に忍びこんだのも、そのことのあるのをひそかに期待していたからに外ならないと認むべきである。

ところで、刑法一七八条にいわゆる抗拒不能とは、心神喪失以外の意味において心理的若しくは物理的に抵抗することの至難な状態をいうものと解されるから、深夜暗い部屋に寝ている女が夢うつつの中のおぼろな意識のうちで同室に寝ていた夫若しくは情夫に情交をいどまれたものと誤信したためこれに応じたのに乗じて姦淫するのは、婦女の抗拒不能に乗じて姦淫する場合にあたるものといわなければならない。従つて、被告人が前説示のように松下を姦淫した行為が右法条の定める強姦の罪を構成することは、疑がない。されば、原判決が、被告人が松下の抗拒不能の状態にあるのに乗じて同女を姦淫した旨判示し、強姦の罪の成立を認めたのは、そのかぎりでは正当であるが、抗拒不能の態様を熟睡と認めたのは、事実の認定としては正確を失するものといわなければならない。しかし、この程度の誤りは判決に影響を及ぼさないものと認められるから、破棄の理由とはならない。

(二)、次に、原判決は、被告人が松下を姦淫した際同女の両肩に全治するまで約三日を要する擦過傷を負わせた旨認定し、被告人の所為を刑法一八一条の強姦致傷の罪に問擬した。同罪の成立に必要な傷害の結果は、強姦の機会において姦淫行為自体又はその手段たる行為その他姦淫に随伴する行為によつて発生したものであることを要するものと解すべきである。ところで、原判決の引用証拠中松下が原判示のような傷害を受けたとの点に関するものとしては、医師柴一葉作成の診断書、同人の検察官に対する供述調書、原審受命裁判官の証人松下富美子及び同奥田金右エ門に対する各尋問調書のみである。しかし、医師柴一葉作成の診断書及び同人の検察官に対する供述調書によつて明らかにされたことは、本件犯行の日の翌日午前七時三〇分頃柴医師が松下を診断した所見として、同女の両肩鎖骨附近に全治するまで約三日を要するものと推定される、爪ででも引掻いたような、長さ五糎ぐらいの、受傷後間もない三本の擦過傷が認められたということだけである。また、右各尋問調書における両証人のこの点に関する供述は、なんら具体性のないもので、松下は「この事件のため肩にかすり傷を負うた」と述べているだけであり奥田は、「その夜松下の肩に引掻かれたような赤あざがあつた。自分はそのような傷をつけた覚えがない」と述べているにすぎない。以上の証拠のみでは、これを綜合しても、松下の受けた傷が姦淫の機会における被告人のどのような行為によつて生じたものかが、全く不明である。しかも、被告人は、本件犯行の日の翌日である昭和三一年五月二五日司法警察員の取調を受けた際、被告人が松下に傷害を与えた事実を否定し、その否定する理由は、「私はこのとおり最近指の爪を切つたばかりなので、引掻いたとしても、皮がむけるほどの傷がつくはずがない」というのであつて、必ずしも首肯しえないものでもない。また、当の松下も、当審では、「入浴する際風呂の鏡でからだを見たときには、肩の傷がなかつたが、本件の騒ぎで階下に旅館の女将を起しに行つたのち丹前を着たとき、その傷に気ずいたもので、いつできた傷かわからない」と述べており、松下が入浴したのは、原審受命裁判官の同女に対する尋問調書によれば午後八時頃であり、本件犯行の行われたのは、被告人が外出先から帰つた時刻が原判示のように午後一一時四〇分頃であることから推定すると、午後一二時前後となるから、右傷は、午後八時頃以降約四時間のうちのいつかわからない機会にできた傷であるということになる。以上彼此綜合して考えるに、右傷は、その成因が結局不明であつて、姦淫の機会における被告人の行為によつて生じたものとはにわかに断定し難いのである。従つて、その傷が被告人の右行為によつて生じたものと認定した原判決は、事実の認定を誤つたものであり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。

よつて、量刑不当の控訴趣意に対する判決は、のちに自判する際自ら示されるので、ここでは省略し、刑訴法三九七条三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所は次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三一年五月二四日、岩手県釜石市唐丹町小白浜町一五三番地旅館業浜田屋こと金野キミ方二階六号室に投宿し、夕食時に焼酎約四合を飲み、酔うにつれて劣情を催うし、外出して遊興先を捜しまわつた末、近所の飲食店にはいり、女中にたわむれたりしたが、素気なく取り扱われたあげく、不本意にも他の飲食客に送り帰されたため、一旦自室にも、どつて寝ようとしたが、欲情を制しかね、午後一二時頃用便に立つた帰りに、中廊下をへだてて六号室の筋向かいにある二号室に情夫の奥田金右エ門と床を並べ消燈して就寝していた松下富美子(当二八年)の枕もとに忍び寄り、その寝床の中にもぐりこんで情交をいどみ、同女が夢うつつの中のおぼろな意識のうちで被告人をそばで寝ていた奥田と錯覚して情交に応じ、抗拒不能の状態にあることを知りながら、これに乗じて同女を姦淫したものである。

(証拠の標目)

一、原審受命裁判官の証人松下富美子に対する尋問調書

一、原審受命裁判官の証人奥田金右エ門に対する尋問調書

一、原審受命裁判官の証人金野キミに対する尋問調書

一、原審受命裁判官の証人細越トシに対する尋問調書

一、原審受命裁判官の証人菅野トキ子に対する尋問調書

一、原審受命裁判官の証人磯崎洋に対する尋問調書

一、金野孝子の検察官に対する供述調書

一、検察官の検証調書

一、原審受命裁判官の検証調書

一、当裁判所の検証調書

一、被告人の司法警察員に対する供述調書(三通)

一、被告人の検察官に対する昭和三一年六月四日付供述調書

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法一七八条一七七条に該当するから、その所定刑期範囲内で被告人を懲役二年に処し、同法二一条により原審における未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入し、原審並びに当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 斎藤勝男 裁判官 有路不二男 裁判官 杉本正雄)

弁護人高橋万五郎の控訴越意

第一点事実誤認

原判決は同挙示の証拠により判示事実を認定したが右は和姦で。強姦でない。

(1)  公判廷における松下富美子の証言要旨

仙台で富美子の本名で芸者を三年程やつた。旦那との間に子供があつたが別れ母と子供と自分の三人で暮している。

奥田金右エ門の情婦となつたが同人と同居してはいない。

奥田には妻子がある。奥田との情交は奥田が行商に出た時に行う外仙台にいる時は温泉に数時間行つて行う。

事件のあつた夜は宿で奥田と自分と別の布団に寝た。

被告人に抱きしめられたことは胸が圧迫されて苦しいのでわかつた。

陰部に男の陰茎が入つたことは奥田が二回目をしたなという気していた。

(2)  被告人の公判廷における供述要旨(第一、二回)

松下富美子は起きていた。

彼女は自分でズロースを取つた。

彼女は自分の陰茎を勃起させた。

彼女が自分の陰茎を自分の陰部にさし入れた。

彼女は熟睡していたのではなく目を覚ましていた。

(3)  被告人の検察官(三通)司法警察員(三通)に対する各供述要旨

自分は酔つていたので誤つて松下の室に入つた。松下は布団の半分をあけ自分を誘う素振りをしたので彼女の布団に入つた。

そして抱擁ののち女はズロースを脱ぎ自分の陰茎を勃起させて彼女の陰部に入れたので彼女は眠つていたのではなく同意を得た上姦淫したものである。

以上によれば先ず松下富美子は性的に潔癖な女ではなくむしろ淫行の熟練者で他人を誘うことが十分ありうること、

2 被告人が情夫と同室している松下に対してその場で強姦乃至準強姦を行う目的を有したと認定することは経験則に反すること。

3 酔うて未知の宿に泊つた際部屋を間違えることはよくある事例であることを考慮すれば本件の所為は所謂夜這いであつて被告人の供述のように和姦であること明らかである。よつて原判決は事件を誤認し破棄を免れない。

第二点量刑不当

原判決は被告人を懲役二年に処したが、かりに有罪であるとしても原判決の量刑は重きに失する。

(1)  犯情が軽るい。

仮りに被告人の所為が強姦であるとしても趣旨第一記才のようにそれは和姦に準ずべき犯情にある。

(2)  被告人は義理堅く辛抱強くまた母思いの青年である。母には毎月四千円宛送金していた。(被告人吉村信太郎の各公判廷における供述)

(3)  被告人は前科のないのは勿論定職定住を有する中堅市民であり犯行反覆のおそれがない。(被告人の各供述身上調書の記載)

(4)  本件犯行の際被告人は焼酎四合その他を飲み犯行抑圧の理性が弱かつた。

以上の次第で原判決を破棄しその刑を減刑の上その執行を猶予すべきである。

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